【ボートレース】135期の郷土勢がデビュー/11月13日の徳山から/九州・山口の8人を紹介
ボートレーサー養成所(福岡県柳川市)を9月20日に修了した135期の29人(男子20人、女子9人)が11月1日を皮切りにいよいよデビュー戦を迎える。九州・山口の郷土勢も13日の徳山からスタート。プロとして晴れの舞台に臨む8人を紹介する。
■岡崎凪汰 決意の長崎支部登録
登番 | 名前 | 生年月日 | 2002年3月12日 |
5369 | 岡崎 凪汰 | 年齢 | 22歳 |
オカザキ ナギタ | 支部 | 長崎支部 | |
出身地 | 大分県大分市 | ||
出身校 | 杵築高卒業 | ||
身長 | 157.5cm | ||
体重 | 50.3kg | ||
血液型 | B型 | ||
リーグ戦 | 4.51(19位)0優出0V | ||
デビュー戦 | 大村 11月15~18日 |
きっかけは最高峰の戦いだった。佐世保で海上自衛隊に勤めていた岡崎凪汰が、ボートレースに初めて出合ったのは2022年の大村グランプリ(GP)。同僚の先輩に誘われて偶然に足を運んだその場所は、全てが新鮮そのものだった。超一流レーサーたちがしのぎを削る走りに、とりわけ興奮を覚えた。その興奮は冷めることなく、次第に自分が新たな道へ進む覚悟に変わっていった。
熱い気持ちが通じて養成所も一発合格。器械体操でインターハイにも出場した身体能力の高さで、スピード旋回も苦にせず習得すると、「外から握っていけるのが強み」と自負できるまでに磨き上げた。さらに社会人時代に培った経験も大いに役に立った。課業では水上でも陸上でも、率先して仲間たちを引っ張るリーダー的存在でもあった。
出身は大分だが支部は長崎を希望。「最初は福岡も考えたのですが、レーサーを目指したきっかけが自衛隊のつながりというのもあったので、先輩たちに自分の走っている姿を見てもらいたかった」。職場は変われど、水の上で闘うことには変わりはない。プロとして成長した姿を見せて恩返しをする。
■日隈 茜 保健室の先生から転身
登番 | 名前 | 生年月日 | 2002年3月14日 |
5370 | 日隈 茜 | 年齢 | 22歳 |
ヒグマ アカネ | 支部 | 福岡支部 | |
出身地 | 大分県日田市 | ||
出身校 | 昭和学園高―九州女子短期大卒業 | ||
身長 | 158.0cm | ||
体重 | 46.3kg | ||
血液型 | A型 | ||
リーグ戦 | 4.43(21位)0優出0V | ||
デビュー戦 | 福岡 11月19~24日 |
アスリートの血が騒いだ。日隈茜がボートレーサーを目指したきっかけは、大学在学中に若松ボートのレースを見たときのこと。その迫力に一目で魅了された。ただ、当時は養護教諭として就職先も決まっていたこともあり、一度は断念。〝保健室の先生〟として働く道を選んだ。
それでも高校時代にはバドミントンでインターハイにも出場。類いまれな運動能力の持ち主が「レーサーになりたいという気持ちの方が強くなった」というのは自然な流れだった。
働きながらも出勤前には勉強を欠かさず、勤務後にはジム通い。懸命な準備もあり養成所は1回で合格した。課業では、そのキャリアも相まって仲間たちの相談役を引き受けることもしばしば。同期を支えるお姉さん的な存在でもあった。
目標とする選手は高田ひかる。「選手招聘(しょうへい)訓練のときに、自分のどこが悪いのか一つ一つ丁寧に教えていただいた。その姿が格好良くて憧れるようになりました」。その高田は女子を代表するまくり屋。「いつかはそうなれるように頑張りたいです」。憧れの先輩のような〝スマッシュ〟を放つべく夢の第一歩を踏み出す。
■庄島潤成 生涯レーサーへ〝プレーボール〟
登番 | 名前 | 生年月日 | 2004年1月26日 |
5375 | 庄島 潤成 | 年齢 | 20歳 |
ショウジマ ジュンセイ | 支部 | 山口支部 | |
出身地 | 山口県下関市 | ||
出身校 | 下関商高卒業 | ||
身長 | 161.0cm | ||
体重 | 53.3kg | ||
血液型 | B型 | ||
リーグ戦 | 6.26(7位)4優出1V | ||
デビュー戦 | 下関 11月27~30日 |
長いボートレーサー人生を送る。庄島潤成はひたすらに白球を追いかけ続けた野球少年。高校も地元の名門・下関商業に進むなど、学生時代は野球一筋に打ち込んだ。ただ、将来を見据えた時に体の小ささから職業としての野球の道は断念。幼いころに父に連れられて行ったボートレース場の記憶から「体を生かせるのでは」と思い、レーサーへの道を志した。
訓練では野球で培った声の大きさで仲間たちを鼓舞。すぐさま慕われる存在になった。初めて乗ったボートにも「速くて、難しいけど楽しい。怖いということは一切なかったですね」。レーサーとして必要な精神面を持ち合わせていたことも成長を大きく促した。リーグ戦では優勝を果たすほどその才能を伸ばしていった。
目標とする選手は地元山口の大スター白井英治。「ファンの方々は、地元を走っていたら見に行きたいという選手がいると思うのですが、自分も白井さんのような魅力ある選手になりたい。長く活躍して、長くレーサー人生を続けられたら」。マスターズ世代となっても年末の一大決戦で活躍する偉大な先輩の後を追って、長いレーサー人生の一歩目をここに記す。
■山下心一 夢に向かってワン・ツー!
登番 | 名前 | 生年月日 | 2004年10月6日 |
5382 | 山下 心一 | 年齢 | 20歳 |
ヤマシタ シンイチ | 支部 | 福岡支部 | |
出身地 | 福岡県福岡市 | ||
出身校 | 東福岡高卒業 | ||
身長 | 163.8cm | ||
体重 | 52.9kg | ||
血液型 | B型 | ||
リーグ戦 | 6.40(4位)3優出0V | ||
デビュー戦 | 芦屋 11月16~20日 |
夢に向かってワン・ツー! 山下心一は幼いころに「お前の体ならボートレーサーがいい」という父の言葉が忘れられず、それをきっかけにレーサーという職業に興味を持った。その父に連れられ、ボートレース場で活躍する選手の迫力を目の当たりにすると、単なる興味は次第にレーサーを志す強い気持ちへと変わっていった。
養成所では当初、精神的なつらさも感じたが、「自分の強み」と自負する根性ではねのけると、着実に力を付けてリーグ戦では3度の優出。養成所チャンプ決定戦に出場するまでその才能を伸ばした。高校時代にはボクシングで全国2位になるほどの腕自慢。ただ、それも「体重管理など共通点があるので」。きっちりとこの将来を見据えて選択した競技だった。「自分は、下手で失敗しても、それでもやってやろうという気持ちが強い」と勝負師として生きていく上で必要な負けん気も持ち合わせている。
憧れの選手はかつて福岡のレジェンドレーサーだった植木通彦さん。「中学生の時に動画で見てすごいと思った。スター性があるし、自分もああいう選手になりたい」と大いに感銘を受けた。「普通に過ごすのが嫌でレーサーになりたいと思った。成り上がりたいです」。夢のチャンピオンを目指し、今、戦いのゴングが鳴る。
■八戸琉楓 まくり差しで名前を売る
登番 | 名前 | 生年月日 | 2004年12月29日 |
5384 | 八戸 琉楓 | 年齢 | 19歳 |
ヤエ リフウ | 支部 | 長崎支部 | |
出身地 | 佐賀県太良町 | ||
出身校 | 佐賀農業高卒業 | ||
身長 | 160.5cm | ||
体重 | 53.5kg | ||
血液型 | O型 | ||
リーグ戦 | 4.81(16位)1優出0V | ||
デビュー戦 | 大村 11月15~18日 |
モンキーターンの迫力に魅了された。八戸琉楓は幼いころ、父に連れられて行った大村ボートで見たレースに心を奪われた。高校は農業高校に進むも「いろんなことを経験したいため」とあくまで目標はレーサー一筋。放課後には体力向上のために個人でキックボクシングジムに通い、選手としての下地をつくり続けた。そのかいもあって高校卒業後の2度目の受験で合格。養成所の門を叩いた。
実技訓練当初にあった恐怖心も「2、3日、間が空くと乗りたくなってくる」と水面を駆け抜ける面白さにすぐさま変化。よりいっそう訓練にも力が入った。厳しい課業で付けた力は養成所の締めくくりでもしっかりと形に残した。修了記念競走の一般戦、「Sを決めることができれば逃げられると思います」との言葉通りにイン速攻を披露。プロとして重要な有言実行の責任感のある走りを体現してみせた。
憧れの選手は桑原悠。「外のコースからでもきっちり展開を見据えて、まくり差して勝つところが格好いい。自分もそういう選手になりたい」。今度は自分が憧れとなる選手になってみせる。
■戸田海咲音 コツコツと食らいつく
登番 | 名前 | 生年月日 | 2006年4月22日 |
5387 | 戸田 海咲音 | 年齢 | 18歳 |
トダ ミサト | 支部 | 山口支部 | |
出身地 | 山口県周南市 | ||
出身校 | 聖光高在学 | ||
身長 | 156.3cm | ||
体重 | 47.3kg | ||
血液型 | O型 | ||
リーグ戦 | 4.09(23位)0優出0V | ||
デビュー戦 | 徳山 11月13~18日 |
「おじいちゃんが好きだったから」。戸田海咲音は大好きな祖父が行っていたからと、幼い頃からボートレース場へ足を運んでいた。次第にその好きは「祖父」から「ボートレース」に移っていくようになり、気付くと選手を目指すまでに膨らんでいった。
約7年間続けたサッカーは、高校時代には大学生に加わって練習するほど高いレベルで打ち込んだ。養成所では、慣れない集団生活などつらいこともあったが、そのサッカーで培った諦めない強い気持ちで乗り切った。何よりも「出会えて良かった」と言う同期との強い絆は大きな財産になった。
目標とする選手は同じ山口支部で女子若手のホープ清水愛海。「どんな選手でも、たとえそれが先輩であっても強気に挑んでいくところが格好いい」とその気持ちの強さに自分の進む道を重ね合わせる。「自分はコツコツやるタイプなので、先輩の言うことをしっかりメモしながら、少しずつレベルアップしていきたい」。たとえ一歩一歩小さくても着実に、未来の大きな一歩にするべくプロの道を歩み出す。
■恵良琴美 最年少SGタイトルホルダーになる
登番 | 名前 | 生年月日 | 2007年5月2日 |
5389 | 恵良 琴美 | 年齢 | 17歳 |
エラ コトミ | 支部 | 福岡支部 | |
出身地 | 福岡県春日市 | ||
出身校 | 筑紫中央高中退 | ||
身長 | 158.0cm | ||
体重 | 41.0kg | ||
血液型 | A型 | ||
リーグ戦 | 4.73(18位)0優出0V | ||
デビュー戦 | 福岡 11月19~24日 |
男子に勝てるスポーツはこれしかない。恵良琴美は物心がつく頃にはもうボートレース場でレースを観戦。水上で選手が戦う姿の格好良さに心ひかれた。元来の負けず嫌いの性格も進む道を後押しした。「男女が平等に戦える。ボートレースを調べれば調べるほどこれしか考えられない」。レーサーを志望したのは自然な流れだった。
好きになったら一直線。養成所へは夜間の高校に通いながらトレーニングを重ね一発合格。初めて乗ったボートにも「プロに近づいているんだ」と気持ちは高まり、課業のつらさも「これでプロになれるということとてんびんにかければ、全然問題なく耐えられる」と全て前向きに捉えて難なくクリア。訓練が進めば進むほど夢が現実に近づいていると実感。むしろ楽しみにすら感じた。
憧れの選手は同じ福岡支部の女子レーサーで第一線で活躍する渡邉優美。「選手招聘(しょうへい)訓練ですごく優しく教えてもらったし一番の思い出だった」とさっそく薫陶も受けた。「養成所も最年少で入ったので、将来もGⅠやSGなど最年少の記録を残したい。トップレーサーと言ったら恵良琴美という選手になりたい」。将来の〝スピードクイーン〟の壮大なストーリーがここから始まる。
■出穂和鼓 男子顔負けのスピードターン
登番 | 名前 | 生年月日 | 2007年12月29日 |
5391 | 出穂 和鼓 | 年齢 | 16歳 |
イズホ ワコ | 支部 | 山口支部 | |
出身地 | 山口県光市 | ||
出身校 | 大和中卒業 | ||
身長 | 164.0cm | ||
体重 | 50.6kg | ||
血液型 | O型 | ||
リーグ戦 | 5.56(12位)1優出0V | ||
デビュー戦 | 徳山 11月13~18日 |
「向いているのでは」という知り合いからのひと言がきっかけだった。出穂和鼓は徳山ボートでボートレースを観戦。そこで行われていたペアボート体験で実際にボートに乗ってみると「スピードを含めた全てにおいて魅力的に感じた」と一気にボートレースの世界に引き込まれていった。
中学時代はウインドサーフィンで全国大会にも出場するほど腕を鳴らした。「風を読む力、体幹などを鍛えられた」とボートレースに必須の能力をしっかり身に付けたこともあって、養成所の実技訓練も「最初は怖かったけど今はいい思い出」と軽く振り返るほどにメキメキと力を付けていった。「得意なのはツケマイ」と自負するそのスピードターンは、レーサーOBの原田富士男教官もお墨付きを与えたほど。同期の女子で指折りの握り屋だ。
目標とする選手は峰竜太。艇界随一のスピードとテクニックを誇るスーパースターだが、スピードならこちらも自慢の武器。プロとして目指すものも、峰と同じSGタイトルホルダー。豪快なターンでボートレース界の頂点へと一直線に駆け上がる。