FI「吉岡稔真カップ争奪戦」

小倉競輪 FI「吉岡稔真カップ争奪戦」 「師匠の冠レースはGIと同じ」岩谷拓磨インタビュー

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 連覇へスパートだ! 小倉競輪(北九州市小倉北区)のFI「吉岡稔真カップ争奪戦」が、7月5~7日にナイターで開催される。日本選手権競輪を4回優勝、競輪祭を3連覇するなど、GIを11V、GPを2度制した小倉のスーパースターの名を冠した大会。小倉ドームの夏の風物詩ともなった熱戦が始まる。その吉岡稔真氏に師事し、昨年の第17回大会を制した岩谷拓磨(27)=福岡・115期=が今年も参戦。守澤太志(秋田)、坂井洋(栃木)、町田太我(広島)ら強力な遠征勢にも臆することなく、兄弟子の小川勇介とともに、師の冠レースを地元で死守する。

吉岡稔真カップの連覇を狙う岩谷拓磨

岩谷拓磨(いわたに・たくま)
 1997年4月5日生まれ。富山市出身。富山商高では陸上部で、三段跳びでの県大会優勝など跳躍種目で活躍した。卒業後は師匠の吉岡稔真(65期、引退)の元で練習するため福岡県に転居。2018年、日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)に115回生で入学し、在校9位で卒業。19年7月13日、岐阜でデビュー(3、1、決勝2着)。同年12月、佐世保でのレインボーカップチャレンジファイナルで2着に入りA級2班へ特別昇班。20年11月、3場所連続完全優勝(防府、松山、武雄)によりS級2班に特別昇級した。S級初優勝は22年5月の高知。その後は昨年8月の「第17回吉岡稔真カップ」などS級優勝3回。22年5月の日本選手権を皮切りに、GIには9回出場。通算413走136勝(6月21日現在)。ホームバンクは小倉。174.1センチ、74.5キロ、AB型。

高卒後に富山から福岡へ転居

「師匠の冠レースはGIと同じ」と気合十分の岩谷拓磨

 ――吉岡さんに弟子入りするために富山から九州に来たそうですが、暮らしはいかがですか。

 「父がつてをたどってくれて、弟子入りすることができました。自分も師匠に一度お会いして小倉に行くことを即決したものの、高卒でいきなり見知らぬ土地。不安はありました。しかも、引っ越してから一度、空き巣に入られたんですよ。危ないところに来てしまったなと思ったんですが、その後は平穏。今ではとても住みやすいと感じています」

 ――不動會(吉岡氏が立ち上げた練習グループ)の練習環境はどうですか。

 「園田匠さんや小川勇介さんら強い兄弟子がいるので、きついけれど身になります。公私にわたってアドバイスもいただいています。自分は周囲から、からかわれやすい面もあるんですけど、皆さんによくしてもらっています」

最高にうれしかった昨年大会V

昨年大会でラインを組んだ九州5人衆。左から小川勇介、市橋司優人、金ケ江勇気(佐賀)、岩谷拓磨、園田匠(金ケ江以外は小倉がホームバンク)

 ――昨年は、師匠の冠レースであるこの大会で優勝を挙げました。

 「自分が優勝しただけでなく、小川さんが2着、園田さんが3着。これ以上ない結末でした。自分たちにとって師匠の冠レースはGIと同等。デビューして、間違いなく一番うれしい瞬間でした。風を切ってくれた金ケ江勇気さんや市橋司優人さん、後ろを固めてもらった先輩方と、ラインの助けがあっての優勝で、感謝感激でしたね」

 ――それから1年間は優勝がありませんが、気になりますか。

 「そうですね。なかなか自転車の感じが良くならない時期が長かったです。新車を自分のものにできませんでした。それで成績が伸び悩んだ感じです」

 ――ただ、5月下旬から6月上旬にかけて、FIで2連続の決勝進出。ともに決勝の確定板に載りました。

 「その5月下旬の向日町FIから、以前の走り慣れたフレームに戻しました。昨年のこの大会で優勝したときに乗っていたものです。やはり自分に合ったフレームですね。でもそれで2回落車してしまったので、『傷んでいるから新しいフレームにしないと』という気持ちもあって、新車に乗り始めたんです。いろいろとセッティングを試したけど、どうしても新しいフレームではしっくりこなくて。それで以前のものに戻したんです。するとすぐに結果に表れました。乗り慣れた安心感もあります」

 ――6月の大宮FIは惜しくも決勝2着。

 「決勝では、前を走ってくれた青柳靖起君を残そうとして、後ろの田中誠さんに差されました。ラインで決まったとはいえ、あれは優勝しないといけなかったレースでした。青柳君と横の間隔を空けながら追い込んでしまって、2人の間を田中さんに突き抜けられての2着。失敗ですが、すごく勉強になりました」

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