武雄競輪(佐賀県武雄市) ミッドナイトGⅢ「日本名輪会カップ オッズパーク杯」
(ガールズケイリン併催)
5月20日(火)~22日(木)開催
「大会の顔」として
深夜のバンクでも激走誓う!
山田庸平インタビュー

  • Sponsored by 武雄競輪

2025年4月、武雄GⅢ開設75周年記念を無傷の4連勝で優勝し、表彰式から笑顔で引き揚げる山田庸平

 武雄競輪のミッドナイトGⅢ「日本名輪会カップ オッズパーク杯」が20日から3日間、無観客で開催される。地元・佐賀からはエース山田庸平(37)=94期・S1=が出場。4月の武雄記念での4連勝完全Vに続く、GⅢ制覇を狙う。今大会の主役を張る山田に、ここまでの競輪人生や近況について話を聞いた。

地元記念Vは格別の喜び

 ――3月のウィナーズカップで節間3勝を挙げた頃から、調子が上向いてきていますね。

 「昨年の終わりごろからなかなか調子が上がらなかったので、年齢からくるものなのかなと感じていました。今年の初め、見つめ直してみたんです。クランク(ペダルと前ギアをつなぐ部品)を換えるなどセッティングを変えて、乗り方も見直しました」

 ――その結果、上向いたんですね。

 「練習でのタイムなども若い頃より出るようになりました。年齢からくる『老い』や『衰え』ではないと思えるようになって、気持ちの面も前向きになっています。でも、けがや疲労からの回復は遅くなっているし、37歳の年齢が気になる面はあります」

 ――4月、地元武雄のGⅢ開設記念で完全V(4戦全勝)を飾りました。

 「感覚的にはウィナーズカップの時の方が良かったんですけど、それでもその流れで感じ良く走れました。今までGⅢで何度か優勝してきましたが、地元の開設記念は格別でしたね」

2024年3月、武雄GⅢ大阪・関西万博協賛競輪で地元でのグレードレースを初制覇した山田庸平

 ――武雄で生まれて、小さい頃から競輪選手への憧れがあったんですか。

 「それは特にありませんでした。父(山田秀・37期、2000年引退)は競輪選手でしたが、自分はまだ小学生だったし、そこまで競輪について興味を持っていたわけではありません。競輪場に応援に行ったこともないんです」

 ――その後、長崎の五島へ引っ越したんですね。

 「父は引退後、農業をやるために五島に移り住んだんです。自分もそこで中学、高校に通いました。バレーボール部で、高校2年までは競輪選手になろうとは思っていませんでした」

 ――どのあたりで意識し始めたんですか。

 「高2の正月だったと思うんですけど、競輪選手になっていた5歳上の兄(山田英明・89期・S1)が五島の実家に来て、お年玉をくれたんです。その額が思ったより多くて、『競輪選手って稼げるんだろうな』と感じました。高3で進路を決めなくちゃいけない時期になって、競輪選手というのを本気で考えるようになりました」

 ――自転車の練習を始めたのはいつですか。

 「高3の夏休みに武雄に行って、兄に教わりながら乗ってみました。その年は受験しなかったんですが、卒業して武雄に引っ越して、競輪選手を目指すことにしました」

2017年3月、高松でのGⅡ第1回ウィナーズカップでビッグレース初出場を果たした山田庸平(右)。左は兄の山田英明

「練習で一番」を目指してパワーを強化

 ――2008年7月のデビュー。お兄さんと練習を重ねていたんですか。

 「デビューから3年くらいは一緒にやっていました。そこからそれぞれ自分の練習をするようになったんですが、兄はどんどん強くなってGⅠに出るようになりました。自分はというとちっとも強くなれなくて、離される一方。周りからも、山田英明の弟としてしか見られていない感じでしたね」

2017年9月、武雄でのGⅡ第33回共同通信社杯での山田庸平。初日に兄の山田英明と同じレースを走ったが、連係せず単騎戦だった

 ――その頃はどんな選手でしたか。

 「自在型でしたが、早く追い込みになりたかったんです。自分で動ける力がないので、自力で戦い続けるのは無理だと思っていました。周りからは『自分のレースをしろ』と言われるけど、自分のレースが何か分からない。『先輩の前で頑張れ』と言われても先行できる脚もない状況でした」

 ――それでもS級に上がって、2017年3月の高松ウィナーズカップでビッグレース初出場。

 「その後にGⅠにも出たんですが、自力でやってきていないので何もできないまま。手も足も出ませんでした」

 ――何か転機はありましたか。

 「地元でGⅡ共同通信社杯があって(17年9月)、それに出ることができたんです。その時ですね。強くなれるチャンスはここしかないと思いました」

 ――どのようにその地元GⅡを迎えたんですか。

 「兄とまた一緒に練習しました。練習もレースも納得いくまでやって、それで駄目なら追い込みに変わろうという気持ちでした」

2020年10月、久留米競輪場での第47回九州地区プロ自転車競技大会でケイリンを連覇した山田庸平(左)。右は2年連続2着の山田英明

 ――そこから強くなり始めたのですね。

 「結局それまでは、やってきていなかったんです。まずは佐賀で一番、練習で強い選手になるまでやろうと思いました。レースで強い選手は練習でも強いので。そのためには佐賀で一番練習しないといけない。その次は九州で一番、練習で強い選手を目指しました」

 ――取り組み方が違ってきたんですね。

 「練習をやりまくりましたね。まずは脚力が必要。その中で、競輪競走がある。練習である程度やれたら自信もつく」

 ――その結果、九州トップクラスの選手になりました。

 「一度A級に落ちた選手と考えると、今の位置にいるのはすごいなとは思いますね。周りの期待も感じるし、GⅠ優勝やグランプリ出場など、チャンスが来たら狙いたいですね」

 ――今でも毎日、練習漬けなんですか。

 「今はだらだらやらずに、オンとオフをはっきりさせるようにしています。以前はずっと競輪のことばかりを考えていました。先輩たちからよく『趣味も必要だよ』と言われていたんですが、ようやくその意味が分かってきました。切り替えは大事だなと。最近は趣味というわけではないんですが、温泉に行ったり、おいしいものを食べに行ったり。ゆっくりする時間をつくっています」

 ――先日の名古屋GⅠ日本選手権は、残念ながら2次予選で敗退し、準決入りはなりませんでした。調子はどうだったんですか。

 「悪くなかったですね。最終日は自力戦で勝てたんですが、以前はここまできついと感じませんでした。そこは年齢を感じましたね。でも、地元記念のときの調子はキープできていると感じました」

2025年4月、名古屋GⅠ日本選手権の一次予選を番手差しで勝利し、3番手の3着・瓜生崇智(右奥、黄色)と会話しながら引き揚げる山田庸平(中央、黒)。2着はライン先頭の山崎賢人(中央奥、紫)

 ――地元では燃えるタイプですか。

 「もちろん気合は入ります。でも正直言うと、そこまで段違いではなかったんです。中学、高校と五島で過ごしたこともあって、武雄には知り合いもそんなに多くなかったので…。それが、この前の武雄記念は今までとは違いました。大勢の方に応援してもらって、勝ち上がると喜んでくれて。応援していただけるのは選手冥利に尽きるし、喜んでくれる人のためにも勝てて良かったです。今までになくうれしい優勝でした」

 ――今回も地元戦ですが、ミッドナイトです。

 「無観客なのは残念ですが、画面を通して応援してもらっていると信じて頑張ります。ミッドナイトは何度か経験があります。青森で走ったのは覚えているんですけど、どこで何回走ったかは分かりません」

 ――調べると、ミッドナイトはA級で3回出走。2011年2月小倉(当時2日制、1、決勝3着)、14年8月小倉(1、4、2着)、同9月青森(特選1、2,決勝1)。青森では、後のグランプリ覇者・松浦悠士選手らを破ってV。

 「普通のナイターなら、午前中にゆっくりできるので好きなんですけどね。夜11時はいつもなら寝ている時間。若い頃とは体も違うでしょうし、開催前にはミッドナイトに合わせる過ごし方をしないといけないかもしれません」

 ――意気込みをお願いします。

 「大会のポスターにもしてもらっています。地元戦ですし、もちろん優勝目指して頑張ります」

レース展望

 地元・佐賀からはエース山田庸平が出場。長崎のヒーロー井上昌己、北九州のスマイルファイター北津留翼らと共闘し、4月の武雄記念に続くGⅢ制覇へと、夜の地元バンクを激走する。
 他地区からも2月の小松島ミッドナイトGⅢを制した鈴木竜士、北日本の主力・小松崎大地ら精鋭が参戦予定。
 地元からはS1の山口敦也や、山田と練習を重ねている立部楓真、坂田康季、橋本宇宙らの若手も出走する。
 前半2個レースはガールズ戦で、昨年の賞金女王・石井寛子、地元の田中月菜らが火花を散らす。

山田庸平(やまだ・ようへい)
 1987年11月8日生まれの37歳。長崎県五島市出身。五島海陽高卒。高校まではバレーボール部。5学年上の兄(英明=佐賀・89期)の影響で競輪選手を目指し、日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)の94期で合格。父の秀(37期)と叔父の貞彦(43期)も元選手の競輪家系。2008年7月、佐賀支部で武雄デビュー(1、1、決勝3着)。通算成績は1311走で351勝、優勝40回。通算取得賞金は4億991万4648円。GⅢ優勝5回(22年7月佐世保記念、23年3月松山記念、同12月広島記念=玉野開催、24年3月武雄万博協賛、25年4月武雄記念)。GⅠ決勝進出は5回で22年岸和田の高松宮記念杯2着が最高。GⅡ決勝は1回。師匠は中野龍浩(53期=引退)、ホームバンクは武雄。171センチ、69キロ、太もも61センチ、O型。

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