競輪

競輪「ルーキーシリーズ2024」125期、126期が5月デビュー 九州勢の男女11人を紹介

 競輪の新人125、126期が、今年も7月の本格デビューを前に、「ルーキーシリーズ2024」でファンに走りをお披露目する。富山でのデー開催(5月3~5日)を皮切りに、ナイター開催3節(平塚・5月10~12日、函館・同24~26日、松山・同31日~6月2日)を行う。出場予定の男子71人と女子19人のうち、九州勢は男子9人、女子2人。この九州のエース候補の計11人を紹介する。 

 

 ◆プロフィルの見方 ①生年月日、年齢②出身地③出身校④ホームバンク⑤師匠⑥養成所在籍順位⑦養成所での独走最高タイム=200メートルフライングダッシュ(FD)、400メートルFD、1キロ(女子は500メートル)タイムトライアル⑧身長・体重・血液型⑨デビュー戦


 

松本定(27)福岡 競輪選手になるため野球未経験で硬式入部

 松本定(まつもと・じょう)はボートレースの選手に憧れていた。だが中学に入ると身長が大きくなり過ぎ、断念。中2のときにインターネットで競輪を見つけ、選手を目指した。

 だが競輪選手への道は分かっていなかった。まずは高校野球で鍛錬を積もうと、甲子園出場歴もある九産大九産高に進み、入部した。「ド素人でした。競輪のためと胸に秘めて練習しました」。

 養成所の受験について調べると、「小倉で実技試験があると聞いてホームを小倉に決めました」。高校在学中の適性を含むと9回目での合格と苦労した。不合格が続くうち、師匠は現役を引退。今ではその兄の吉岡稔真氏(65期)に助言をもらっている。「プロ生活は自力一本で突き進みたい」。大きな体が生きる競輪で、花を咲かせる。

 ①1996年7月10日、27歳②福岡市③九産大九産高④小倉⑤吉岡啓史・75期=引退⑥48位⑦11秒20、23秒18、1分08秒08⑧186・88・A⑨平塚

9回目の受験で日本競輪選手養成所に合格した松本定

 

阿部英斗(19)福岡 ゴールデンキャップ2回のエース候補 

 阿部英斗(あべ・あやと)は、松山学院高でインターハイのスプリントVなど輝かしい実績を重ねた。師匠は小倉のスーパースター吉岡稔真氏。「吉岡さんを超える方はいないのでお願いした。そして自分が師匠を超えたい」と夢も大きい。

 4歳でトライアスロンを始め、自転車に乗った。8歳では、自宅近くの小倉ドームに競輪祭を見に行った。「白熱したレースを自分もやりたいと思いました」。自転車の名門校に進み、ジュニア世界選手権ケイリンで銅メダルも獲得した。

 だがアマ実績に意味がないことも知っている。「高校卒業後に小倉の先輩選手と練習して、ちぎられました。鼻を折られた」。養成所ではゴールデンキャップ2回と成績優秀。いよいよプロで、GP2V、GⅠで11冠の師匠に挑戦する。

 ①2004年5月23日、19歳②北九州市③松山学院高④小倉⑤吉岡稔真・65期=引退⑥16位⑦10秒89、22秒45、1分06秒74⑧173・80・O⑨平塚

ゴールデンキャップを2回獲得した阿部英斗

 

 中西勇(32)福岡 和歌山所属の兄を追いかけて

 中西勇(なかにし・ゆう)は兄・大(和歌山、107期)の背中を追って、競輪の世界へ飛び込んだ。ハンドボールの選手として久留米の祐誠高、九州共立大、沖縄の社会人チーム・琉球コラソンでも活躍していた。だが将来を考えたとき競輪という道もあると考えて、和歌山支部所属の兄に相談。兄の家に住み込んで和歌山で2回受験した。だが、不合格だった。

 「環境を変えたかった」と3回目は故郷の久留米で受験。兄の友人の小川賢人に師事して、合格をつかみ取った。

 「兄のように先行して勝てるようになりたい。2年以内にS級に上がるのが目標」。沖縄では那覇空港で飛行機からの荷物を出し入れする仕事をしながらハンドボールを続けた苦労人。32歳のオールドルーキーが、兄を超える活躍を目指す。

 ①1992年4日10日、32歳②福岡県久留米市③祐誠高―九州共立大④久留米⑤小川賢人・103期⑥61位⑦11秒18、22秒99、1分09秒61⑧178・88・A⑨平塚

ハンドボールの選手だった中西勇

 

 

松本昂大(19)長崎 自転車の国体選手だった父に憧れて

 松本昂大(まつもと・こうだい)は、小1から陸上を始め、中学まで短距離で汗を流した。父は自転車の国体選手。小さい頃、20代の父がレースに出場している姿を写真で見て、「かっこいいと思った」と自転車競技に憧れた。小4ではテレビの競輪中継内で武田豊樹(茨城、88期)の特集を見て、競輪選手を志した。

 長崎の名門・鹿町工高では、高校選抜のスプリントVなど活躍。養成所にも一発合格した。

 第2回記録会でゴールデンキャップを獲得するなど養成所でも順調だったが、落車で右鎖骨を骨折。第3回記録会で大きくタイムを落とした。「けがで思ったトレーニングができなかった。デビューまでに取り戻します。夢はでっかくGP優勝」。2008年の井上昌己に続く、長崎のスターを目指す。

 ①2004年5月22日、19歳②長崎県川棚町③鹿町工高④佐世保⑤瀬戸栄作・109期⑥65位⑦11秒07、22秒72、1分07秒47⑧174・73・B⑨平塚

養成所では右鎖骨の骨折で調子を落とした松本昂大

 

小山峻汰(23)熊本 サービス精神を忘れないお笑いキャラ 

 小山峻汰(おやま・しゅんた)は父が競輪選手(琢磨、75期=引退)。小さい頃から父に憧れていた。だが小3から始めた野球を続け、「競輪選手は甲子園に行ってから目指すことにした」。甲子園には縁がなかったが、師匠の合志正臣と練習を積んで4回目で養成所に合格。「熊本バンクが使えないのに受かりました。合志さんのおかげ」と感謝を忘れない。

 尊敬する人物は師匠ともう一人、「志村けんさんです。人を笑わせる力がすごい。自分もそういうキャラでやっていきたい」と真面目な顔で言った次の瞬間に「アイーン」とギャグを飛ばした。

 根っからの明るさと、周囲へのサービス精神が特徴。レースでも「お客さまを楽しませる、感動させる走りをしたい」と、プロとしての魅力あふれる選手を目指す。

 ①2000年5月20日、23歳②熊本市③鎮西高④熊本⑤合志正臣・81期⑥70位⑦11秒46、23秒34、1分09秒32⑧181・83・AB⑨富山

志村けんを尊敬するエンターテイナーの小山峻汰

 

寺師幸成(32)鹿児島 自転車未経験なのに脱サラして挑戦

 寺師幸成(てらし・こうせい)は高校3年間、陸上の投てき競技でパワーをつけた。卒業後は畜産関係の会社に就職。だが「サラリーマンで終わりたくない」と考えるようになり、10年勤続した会社を退職。競輪選手を目指すことにした。自転車経験はなく、「大きなチャレンジでした」。4回目の受験で合格した。

 練習する根占自転車競技場まで毎日10キロ以上、同期の稲留敦貴と自転車で往復した。「車も売ったので、自転車しかなかった。帰りが本当にきつかった。4回目は、死ぬ気で合格しました」と振り返った。

 「北井佑季さん(神奈川、119期)、皿屋豊さん(111期、三重)ら30代デビューでも強い人は多い。師匠のお兄さんの上吹越俊一さん(99期)も」。選んだ道で、成功をつかみ取る。

 ①1991年7月17日、32歳②鹿児島県鹿屋市③鹿屋工高④―⑤上吹越直樹・86期⑥54位⑦11秒27、23秒41、1分10秒45⑧184・86・A⑨平塚

脱サラして競輪選手となった寺師幸成

 

稲留敦貴(22)鹿児島 本土最南端の町からS1レーサーに

 稲留敦貴(いなどめ・あつき)は「元々自転車が好き」という子どもだった。ある日、通っていた児童20人くらいしかいない竹之浦小に、競輪選手がやって来た。「それが師匠になる大久保聡さんでした」。ローラーに乗るなど自転車の魅力を発信するイベントだった。すぐに競輪選手になりたいと思った。

 南大隅高の自転車競技部では中距離種目も含めて活躍した。だが試験合格は4回目。同期同県の寺師幸成と練習を重ねてつかみ取った。

 養成所では「強い候補生のスピードに驚いた。このままじゃ上に行けないと感じている」と危機感たっぷり。目標は「鹿児島にはS1がいない。まずはS1になる。そしていつかタイトルを取りたい」。本土最南端の町・南大隅町から、大きな夢を追いかける。

 ①2001年7月4日、22歳②鹿児島県南大隅町③南大隅高④―⑤大久保聡・86期=引退⑥50位⑦11秒32、23秒59、1分09秒18⑧172・76・B⑨平塚 

本土最南端の南大隅町出身の稲留敦貴

 

入田龍馬(20)鹿児島 縁あって寺崎浩平からフレーム

 入田龍馬(いりた・りゅうま)は鹿屋市の出身。同市で自転車ショップを営む元選手の内村豪さん(67期=引退)に、中学時代に自転車競技を習った。その流れで南大隅高の自転車競技部に入り、スプリントなど短距離種目を中心に活躍。2回目の受験で養成所入りを果たした。

 目指す選手は寺崎浩平(福井、117期)。「ダッシュ力がすごくて持久力もある。理想の走りだと思う」と魅了されている。寺崎の夫人は寺崎舞織(福井、112期)で、その父が内村さん。そのつながりで、寺崎にフレームを融通してもらったこともある。

 養成所では地脚強化でタイムが向上。捲りを中心に71戦で15勝と鹿児島同期トリオの中でも成績が目立つ。体格は大きくないが、可能性は無限大の好素材だ。

 ①2003年5月30日、20歳②鹿児島県鹿屋市③南大隅高④―⑤上吹越直樹・86期⑥17位⑦11秒19、22秒71、1分08秒51⑧166・72・A⑨平塚

福井の寺崎浩平とも縁のある入田龍馬

 

與古田龍門(22)沖縄 慎太郎さんのように競輪盛り上げる

 與古田龍門(よこた・りゅうと)は、父にロードバイクに誘われて中2で自転車に乗り始めた。高校で自転車競技を本格的に始め、沖縄県内ではスプリントとケイリンでの優勝歴がある。

 佐藤慎太郎(福島、78期)に憧れて競輪選手を目指した。「佐藤さんがGPを勝ったのをテレビで見ました。お客さんが沸いていて、自分も競輪場を盛り上げたいと思いました」。その佐藤は、沖縄にも拠点を置いて練習をしている。「とても気さくな方です。すごい人なのに、一緒に練習してアドバイスもいただきました」と、GP覇者に心酔している。

 4回目の受験で合格した養成所では「成績は良くないが、先行力を課題に先を見てやってきた」。今後も努力を重ねて、沖縄から競輪場へ熱風を送り込む。

 ①2001年10月27日、22歳②沖縄県北中城村③与勝高④―⑤仲松勝太・96期⑥69位⑦11秒23、23秒11、1分08秒78⑧179、78、A⑨平塚

気さくな佐藤慎太郎に憧れている與古田龍門

 

高木萌那(20)福岡 優花とともにGPの舞台を目指す

 高木萌那(たかき・もな)は父に現役選手の高木和仁、祖父に工藤元司郎(茨城、16期=引退)を持つサラブレッド。だが競輪界に特に興味は持たず、「むしろ嫌でした」。小4から始めた野球に熱中した。

 女子野球の名門・神戸弘陵学園に進学。2年時には決勝だけが甲子園球場で行われ、見事にV。そこから「女子プロ野球の選手を目指しました。でも高1でその活動がなくなった」と目標を失った。そこでガールズケイリンを見てみると、「奥が深くておもしろかった。プロスポーツをやっていきたかったので、競輪選手を目指しました」。

 小林優香(106期)と練習をともにしている。夢は「優香さんとGPに出る」。新人と復活を期す実力者が刺激し合って、ガールズ王国・久留米をさらに盛り上げる。

 ①2004年4月6日、20歳②福岡県久留米市③神戸弘陵学園高④久留米⑤高木和仁・76期⑥3位⑦12秒24、25秒07、38秒26⑧162、74、B⑨富山

女子高校野球では甲子園球場でもプレーした高木萌那

 

是永ゆうき(20)大分 石井寛子の力と技を身につける

 是永ゆうき(これなが・ゆうき)はソフトボールをやっていた姉の影響もあって、小4から野球、中学ではソフトボールで汗を流した。姉と同じ高校のソフトボール部を目指したが、休部になってしまっていた。だがスポーツをして生きていくと心に決めていたため、ガールズ選手になるために日出総合高の自転車競技部に入った。

 初心者だったが、努力を重ねてインターハイのケイリンで入賞。2回目の受験で養成所に合格。「きついことが多かったが、ダッシュ力がついてタイムも上がった」と手応えを得て卒業した。

 目標は石井寛子(東京、104期)。「どんな展開でも自分のものにして、最後に差し切る。自分もそうなりたい」。ガールズの多い大分で力と技を磨き、石井のように華やかな活躍を目指す。

 ①2003年12月6日、20歳②大分県宇佐市③日出総合高④別府⑤池部壮太・109期⑥7位⑦12秒78、25秒83、38秒79⑧155・55・O⑨富山 

プロスポーツ選手になるためにガールズケイリンを選んだ是永ゆうき

 

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