競輪

123期まもなくデビュー 九州勢17人を紹介 ルーキーシリーズ第1戦、宇都宮で30日開幕

 新人同士で戦う「ルーキーシリーズ2023」が宇都宮(4月30日~)を皮切りにスタートする。今年で4年目の実施。四日市、松戸、福井と、6月までに4節を行う。出場するのは3月に日本競輪選手養成所を卒業した123期(男子)70人と124期(女子)23人。そのうち九州勢は男子17人、女子5人。ここでは九州の男子123期を紹介する。(九州勢女子5人は別ページで紹介中)

 ◆ルーキーS日程 新人だけで戦う「ルーキーシリーズ2023」は4月30日~5月2日の宇都宮ナイターを皮切りに、4節が行われる。すべて123期の5個レースと124期の2個レースに加え、A級1、2班戦5個レースが組み合わされるF2開催。宇都宮以外の日程は以下の通り。5月5~7日=四日市ナイター、同26~28日=松戸ナイター、6月1~3日=福井

 ◆プロフィルの見方 ①生年月日、年齢②出身地③出身校④ホームバンク⑤師匠⑥養成所在籍順位⑦養成所での独走最高タイム=200メートルフライングダッシュ(FD)、400メートルFD、1キロ(女子は500メートル)タイムトライアル⑧身長・体重・血液型⑨デビュー戦 

 

楠本政明(27)福岡 ユーチューブで輪界へ

 神戸出身の楠本政明(くすもと・まさあき)は、三段跳びの選手だった。大学を卒業後も実業団で競技を続けていた。競輪はファンとして楽しんでいたが、陸上で鍛えた体を生かして競輪選手になろうと思うようになった。だが、どうすればなれるのか分からず、「ユーチューブで競輪について話す元選手の鈴木宏幸さん(89期)にツイッターのDMで質問しました。すると同期の田中誠さんを紹介してくださいました」。
 大学入学は福岡大で、愛妻も福岡出身と縁がある。「福岡のみなさんに安心して車券を買ってもらえる選手になりたい。グレードレースで師匠の前を走りたい」。自転車経験は浅いが身体能力が高い。努力次第では大成するはずだ。

①1995年10月5日、27歳②兵庫県神戸市③神港学園神港高―びわこ成蹊スポーツ大学④久留米⑤田中誠・89期⑥68位⑦11秒49、23秒76、1分11秒00⑧183・90・O⑨宇都宮 

楠本政明

 

堀越翔己(24)福岡 受験6回の執念が信条

 堀越翔己(ほりこし・しょうき)は北九州出身だが京都で育った。小中学校では陸上やボクシングで体を動かしたが、「親のすすめで競輪選手を目指した。京都で練習していたが、なかなか養成所に受からず諦めかけました」。それでも夢を捨て切れず、「北九州生まれだし、今の師匠の八谷さんに相談して引き受けてもらった。福岡でも2年練習して、6回目の受験で合格。うれしかったです」。
 養成所では「周りは自分より強い人たちばかり。どうすれば勝てるのかを考えながらやってきた」と21位の順位で卒業。「福岡を代表する選手、何でもできる選手になりたい」。少しずつでも目標へ近づき続けてきた地道さが長所。これらからも苦労はいとわない。

①1998年8月9日、24歳②北九州市③北桑田高④小倉⑤八谷誠賢・77期⑥21位⑦11秒50、23秒74、1分09秒14⑧177・78・O⑨四日市

堀越翔己

 

梶原海斗(23)福岡 兄を追いかけ追い越す

 兄を追いかけ続けてのプロ入りだ。梶原海斗(かじはら・かいと)は中学まではバレーボール部だったが、2つ上の兄・大地(119期)の国体スプリントVを見て転向を決心。「兄の活躍をかっこいいなと思っていた」と、兄と同じ祐誠高、中大と進み、ついには同じ競輪選手となった。
 養成所では「タイムは伸びなかったが、メンタル面で成長できたと思います」。とはいえタイムもダッシュ力の良さを証明する好時計。「目標は同じ福岡の先輩の北津留翼さんです。逃げても捲っても迫力があります。自分も、自力でS級戦を勝ち切れる選手になりたい。夢はG1制覇です」。師匠も兄と同じ西田大志。兄弟で刺激し合って成長を続けていく。

①1999年8月6日、23歳②福岡県久留米市③祐誠高―中大休学④久留米⑤西田大志・98期⑥53位⑦10秒74、22秒34、1分07秒95⑧178・82・AB⑨四日市

梶原海斗

 

櫻木雄太(22)福岡 ラグビーからのトライ

 櫻木雄太(さくらぎ・ゆうた)は、高校時代はラグビーに明け暮れた。前身の荒尾高時代から熊本県の名門校として知られる岱志高で活躍。快速ウイングとしてトライを量産した。「スポーツで生計を立てていきたかったし、父も競輪が好きだったので選手を目指しました」。とはいえ自転車経験がなく、適性を合わせて4度目の受験でようやく養成所に合格した。
 訓練では「持ち味であるダッシュ力をさらに磨けました」と有意義な時間を過ごした。尊敬する人物はボートレースの峰竜太。「カリスマ性があってかっこいい。自分も車券を買っていただいたお客さまをドキドキワクワクさせる走りがしたい」。峰のように、頂点を極める選手を目指す。

①2000年10月18日、22歳②福岡県大牟田市③岱志高④久留米⑤田中弘章・68期⑥69位⑦11秒32、23秒53、1分10秒49⑧172・78・B⑨四日市 

櫻木雄太

 

丸林駿太(21)福岡 郡司のように父超える

 丸林駿太(まるばやし・しゅんた)は、幼少期から水泳やソフトボールに励んだスポーツ少年。中、高では硬式野球を続け、俊足巧打の外野手として甲子園を目指した。だが夢かなわず高3の夏が終わると、父・一孝の背中を追って自転車にまたがった。「プロ野球選手になりたかったが、高2の冬に膝を手術。やはり身近にあったのが競輪でした。父の姿をずっと見ていたし、進路を決めるときに自分も競輪選手になると決断しました」
 2度目の受験で難関を突破し、第2回記録会では地脚を発揮してA判定。「郡司浩平選手が目標。お客さまの期待に応えて、信頼されるようになりたい」。郡司も師匠は父。父を大きく超える活躍を目指す。

①2002年2月2日、21歳②福岡県朝倉市③真颯館高④久留米⑤丸林一孝・81期⑥32位⑦11秒42、23秒09、1分10秒16⑧177・78・O⑨四日市

丸林駿太

 

堀川敬太郎(21)福岡 艶和と隊列を組み通学

 自転車が好きだった堀川敬太郎(ほりかわ・けいたろう)は、久留米の自転車競技の名門・祐誠高を選んだ。実家の福岡市南区から約1時間半かけて毎日往復。ナショナルチーム女子中距離の内野艶和(120期)は同じ自転車競技部の同学年。内野と2人で隊列を組んで通学していた。
 中長距離での活躍だったが、「自転車を職業にするなら、中長距離より競輪だと思って受験しました」。橋本英也、窪木一茂ら、中長距離のトップが次々に競輪選手になる流れも背中を押した。養成所では「ダッシュ、スピードがついた」。目標とする選手は「北津留翼選手。いつか前を引ける選手になりたい」。近い将来、必ずその日はやってくるはずだ。

①2001年9月28日、21歳②福岡市③祐誠高―京都産業大中退④久留米⑤藤田剣次・85期⑥64位⑦11秒29、23秒30、1分09秒13⑧174・75・A⑨宇都宮

堀川敬太郎

 

橋本宇宙(23)佐賀 兄に代わり九州背負う

 橋本宇宙(はしもと・そら)は、佐賀から栃木に移籍した橋本瑠偉(113期)の弟。「叔父(品川啓司=63期)や兄の影響で、高校から自転車を始めました」。だがなかなか成績は伸びないまま。兄は明大に進学したが、「兄から日大の方がいいと言われた」。大学で力をつけてきたころ、「兄の走る姿を見て選手になろうと思うようになった。そして、兄から収入を聞いて決心しました」。
 在校1位の兄には養成所の成績ではかなわなかったが、「自分からレースを動かすことを徹底した。たとえ先行できなくても、先行を狙った」と、順位は積極駆けの結果。「タイトルを取れるように頑張る」。兄に成り代わって、九州の未来を背負って走る。

①1999年9月23日、23歳②佐賀県多久市③龍谷高―日大④武雄⑤小林弘和・91期⑥58位⑦11秒09、22秒84、1分09秒88⑧173・77・A⑨宇都宮

橋本宇宙

 

小柳智徳(24)長崎 新庄級の派手な活躍を

 野球一筋だった小柳智徳(こやなぎ・とものり)は、西日本短大附属高(福岡)から日本文理大(大分)と強豪校で白球を追った。プロ野球選手を夢見ていたが、大学で試合に使われなくなり競輪転向を決心。3年で大学を辞め、2度目の受験で合格した。
 「訓練では自転車経験の浅さが出ました。一人で走る分にはいいが、追走や競走など、経験者とは大きな差があった」。養成所に入った当初は苦労の連続だったが、「追走が上達するよう意識して頑張った」と克服。1年で大きく成長を遂げた。尊敬する人は「高校の野球部、先輩の新庄剛志さん(現プロ野球日本ハム監督)。派手な活躍で注目されたい」。地道な努力を重ねて栄冠を目指す。

①1998年5月17日、24歳②長崎県波佐見町③西日本短期大付属高―日本文理大中退④佐世保⑤白濱一平・111期⑥36位⑦11秒33、22秒90、1分09秒65⑧166・82・A⑨四日市

小柳智徳

 

峯口司(20)長崎 町田の先行力を目標に

 幼いころから自転車が好きだった峯口司(みねぐち・つかさ)は、父の勧めもあって自転車の強豪・鹿町工高で競技を始めた。「大会ではいい成績を全然残せませんでした」。それでも「好きなことを職業にしたい」と競輪選手を目指し、2回目の受験で合格した。
 「周りはみんな強かった。同期から教わってばかりでした。でもそれで少しづつ成績が上がっていった」。仲間に恵まれた養成所生活。「まだまだですけど、ダッシュ力がつきました」と成長を感じ取った。目標とする選手は町田太我(117期)。「捲りは得意だが、先行力がない。町田選手のように逃げ切れるようになりたい」。果敢に風を切りながら、まずは目標の「特昇」を手にする。

①2002年12月8日、20歳②長崎県佐世保市③鹿町工高④佐世保⑤佐藤幸治・92期⑥26位⑦11秒30、23秒32、1分09秒53⑧173・73・A⑨四日市

峯口司

 

長松空吾(23)大分 兄の背中を追い続けて

 長松空吾(ながまつ・くうご)は兄・大祐(121期)に続いてのデビュー。高校も大学も、兄を追った。「父が競輪好きで、幼いころから別府競輪場でレースを見ていました」。中学までは野球をやっていたが、高校では自然と兄のいる自転車競技部に入り、競輪選手への憧れも募らせた。
 アマ時代は兄同様に中距離をメインに活躍。地脚を武器に、養成所の第2回記録会ではA評価を得た。「訓練はつらかったけど、仲間に恵まれて、思っていたより楽しく過ごせた1年でした」。卒業後は、やはり兄と一緒に練習に励んでいる。当面の目標は「3年以内にS級」。兄弟で刺激し合って、3年後にはともにS級で別府バンクを沸かせているはずだ。

①2000年3月24日、23歳②大分市③別府翔青高―鹿屋体大④別府⑤安東英博・87期⑥11位⑦11秒12、22秒73、1分08秒84⑧170・75・AB⑨四日市

長松空吾

 

押田会心(22)熊本 師匠の指導で花咲かす

 押田会心(おしだ・かいしん)は父が元選手の田中公一郎(74期)。小学校から野球を続けながらも、いつしか競輪選手を目指していた。師匠は甲子園出場経験もある合志正臣。「3回目で合格しました。途中で何度もくじけそうになった。師匠からは、自転車以外のことも厳しく指導してもらいました」。
 養成所では、周りのレベルに驚いた。「訓練そのものは、地元での練習に比べてきつくはなかった。でも同期に強い人が多くて精神的につらかった」と振り返る。競走訓練では未勝利だったが、先行しようと積極的に動いたからこそ。目標は「地元を盛り上げる選手になる。そしてGⅠ優勝」。積み重ねた努力が、新装の熊本バンクで花開く。

①2000年9月11日、22歳②熊本県大津町③熊本国府高④熊本⑤合志正臣・81期⑥67位⑦11秒30、23秒21、1分08秒87⑧171・83・O⑨四日市

押田会心

 

徳永泰粋(20)熊本 高校の先輩たちに憧れ

 徳永泰粋(とくなが・たいき)は、千原台高出身。先輩に松岡辰泰(117期)、北川大成(119期)、中村鈴花(120期)らがいる。高校入学後、特に深く考えずに自転車競技部に入った。大会での成績も振るわず、競輪選手になろうとも思っていなかった。だが、「高校の先輩が活躍する姿に憧れました」。熊本支部長の西島貢司に弟子入りし、2回目の受験で合格を勝ち取った。
 養成所では「体調を崩したこともあったし、外出もできず精神的にきついこともあった」。だが持ち前のダッシュ力に加えて「長い距離を踏めるようになったし、成長できました」。将来は「九州を代表する先行選手になる」。その可能性を十分に秘めた大器だ。

①2002年12月3日、20歳②熊本市③千原台高④熊本⑤西島貢司・64期⑥38位⑦11秒19、23秒17、1分09秒17⑧175・72・AB⑨宇都宮

徳永泰粋

 

半田誠(19)熊本 小学校からの夢を実現

 熊本出身の半田誠(はんだ・まこと)は、愛媛の松山学院高へと進んだ。「物心がついたころから自転車が好きで、小学生で競輪選手になりたいと思っていた。自転車の強豪だったので松山へ行きました」。練習に明け暮れ、ケイリンやスプリントの全国大会で優勝するなど好成績を残した。
 しかし養成所では「大卒など年上の先輩とは力の差があった」と上には上がいることを知った。「まだまだ強くならなければと感じました」。目標の選手は中川誠一郎(85期)。「熊本地震の直後のダービーや久留米での熊本記念を優勝して、熊本に活気を与えてくれた選手」と尊敬する。アピールポイントは「先行意欲」。中川の前で勇敢に風を切る日も近い。

①2003年12月25日、19歳②熊本県御船町③松山学院高④熊本⑤田川辰二・72期⑥60位⑦11秒36、23秒31、1分09秒22⑧170・80・O⑨宇都宮

半田誠

 

佐藤壮志(19)熊本 九州浮上のカギを握る

 佐藤壮志(さとう・たけし)は、小学4年から自転車競技を始めた。熊本バンクで練習していたが、地震で競輪場が損壊。環境を求めて松山学院高に進学した。1000メートルTTなど高校全国大会V。養成所入所後は、優秀な候補生が集うHPD教場で鍛錬した。「ナショナルチームもそこで練習するんですが、見ていて取り組み方、集中力が違う。一本一本を大事にしている」。そのことに気づき、競走訓練では「何もせずに終わる競走はいや。意識して動きました」と先行主体で好成績を残した。
 「デビュー1年ほどで熊本競輪場が再開する。そのときS級として活躍していたい」。九州浮上のカギを握る男がもうすぐ、ファンの前に姿を現す。

①2003年8月26日、19歳②熊本市③松山学院高④熊本⑤田川辰二・72期⑥4位⑦10秒91、22秒74、1分08秒22⑧172・76・O⑨四日市

佐藤壮志

 

石川航大(23)宮崎 自転車をやめる寸前で

 石川航大(いしかわ・こうだい)は、競輪選手になるつもりはなかった。「中学のとき、マウンテンバイクやロードに乗ってみたら楽しかった。高校も自転車競技部のある都城工に行きました」。京産大に進学して競技を続けたが、2年で中退。「地元に帰って自転車もやめるつもりでした」。だが高校の先生や四元慎也(77期)らに「もったいない」と説得され、プロを目指す決意をした。
 中距離が主戦場だったため、養成所では短距離に必要な筋力のアップに主眼を置いた。「ダッシュ力やトップスピードは上がったと思います」と力を備えた。「競輪をもっと広めたい」。九州を代表する先行選手になって、宮崎の人々に競輪をアピールする。

①1999年6月28日、23歳②宮崎県日南市③都城工高―京都産業大中退④―⑤久島尚樹・100期⑥62位⑦11秒33、23秒42、1分09秒46⑧176・81・B⑨四日市

石川航大

 

枝村弘樹(23)宮崎 T教場での訓練で飛躍

 枝村弘樹(えだむら・ひろき)は、石川航大と高校で同じ自転車競技部。中学まで野球をやっていたが、2つ上の兄が自転車競技部で興味を持ち入部した。石川と大学では分かれたが、同期でデビューを迎える。
 岐阜の強豪・朝日大では中距離種目を中心に活躍。全日本選手権の団体追い抜きで準V。「親に恩返しがしたい」とプロ志望で、養成所は一発合格した。
 入所後は、「ダッシュ力がつかない」と悩んだ。だが、「長所の地脚はさらに強化できた。T教場でしごいてもらったので」と、滝澤正光所長の教場で力をつけた。第2回記録会ではその成果でA評価。デビュー後は地脚を生かして「先行で戦う」。石川とともに、南九州旋風を巻き起こす。

①1999年5月6日、23歳②宮崎県都城市③都城工業高―朝日大④―⑤久島尚樹・100期⑥43位⑦11秒42、23秒35、1分09秒07⑧169・69・O⑨宇都宮

枝村弘樹

 

成海大聖(23)沖縄 颯馬に続く琉球スター

 成海大聖(なるみ・たいせい)は小学生でトライアスロンにチャレンジ。そこで自転車に出合い、ロードで実績を積んだ。ロードのプロも考えたが、収入面がネック。「職業として考えれば、競輪だと思った」。
 短距離の経験が不足していて「不安があった中で、1回で受かった」と養成所入り。入所直後はスプリント力で劣っていたが、「瞬発力を強化できた。総合的に確実に力を伸ばせた」と十分な手応えを得た。
 目標とする選手は「郡司浩平さん。SSで積極的なレースをしながら勝っているので」。さらにもう一人「一つ上の伊藤颯馬さん。彼のように強くなりたい」。伊藤と、沖縄のツインバズーカとなって九州勢をけん引する。

①1999年4月12日、24歳②沖縄県宜野湾市③普天間高―鹿屋体大④―⑤仲松勝太・96期⑥10位⑦11秒21、23秒30、1分09秒75⑧165・69・O⑨四日市

成海大聖

 

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