競輪

【小倉競輪(ナイター)FⅠ濱田賞】北津留翼 謎の病気を「自力で治しました」/特別インタビュー/1月31日開幕

FI「第24回スーパーナイター濱田賞」

◆北津留翼(きたつる・つばさ)1985年4月26日生まれの39歳。北九州市若松区出身

■苦しかった昨年の後半

 ――昨年を振り返って、どんな一年でしたか。

 「特に後半は苦しい年でしたね。8月の平塚オールスターで体を壊したんですよ。過密スケジュールで練習も詰めてやっていたし、やり過ぎたんだと思います。胃腸の調子がおかしくなりました」

 ――何か病気だったんですか。

 「その平塚が終わってすぐに病院を予約したんですけど、ずいぶん待たされてずっと分からなくて、秋に潰瘍性胃腸炎と診断されました。でも次に大きな病院に行ったら、『いや、違う』と。しかも結局『よく分からない』と言われて。12月の松山記念では、血便と発熱で当日欠場。かなり厳しい状況でしたね」

 ――昨年後半(7~12月)はわずか4勝。成績も下降気味でした。

 「練習も、腸に刺激がいくようなダッシュ系を避けていました。あまり詰め込み過ぎないようにもしました。何より食生活に気を付けないといけなくなりました。それまでは平気で食べていたものなのに、食べると胃腸を壊すものが次から次に出てきたんです。それで、食べられるものと食べられないものを見分ける作業を続けました。その食材を少しだけ食べて、大丈夫かどうかを体調で見極めていました。競輪開催には、食べられるものを持ち込んで食べていました」

2008年6月、北京五輪を前にした前橋競輪場での合宿に参加した北津留翼(左)

 ――大変な話です。今も続いているんですか。

 「いえ、もう治りました。というか治しました。病院で分からないというからには、自力で治すしかないなと。アレルギー性のものだと思ったので、炎症が起きない食べ物を選んで2週間ほど自分なりの食事療法をやったら、うまいこと治ってくれたんです」

 ――良かったですね。もう何でも食べられるんですか。

 「はい。開催中も(自分で持ち込まずに)競輪場の食堂のものを食べています。体調が戻ったので、練習も以前のようにできるようになりました。一時期は、自力戦が厳しくなりそうなのでマークで戦うことを増やそうとも思っていたんですが、まだまだ自力で頑張ろうかなと。やはり自分はそっちの方が合っているし、気持ちも楽なので。ただ、どんなシチュエーションで再発するか分からないので、そこは不安ですね」

 ――年またぎの武雄FⅠは1着がありませんでしたが、体調はどうでしたか。

 「初日は問題なかったんですが、2日目からあまり体調が良くない感じはありました。でもそれはインフルエンザでした。開催を終えて帰ったら熱が出ていて。それで病院に行ったらすごい患者さんの数で、6時間待たされました。それがかなりきつかったですね。7日からの高松FⅠは欠場しました」

2022年6月の久留米記念「中野カップレース」で優勝し、中野浩一氏(左)から手渡されたトロフィーを手にする北津留翼

■長女が今年、選手デビュー

 ――選手養成所に入所している長女の千羽さんは、年末年始に帰省しましたか。

 「帰ってきたので一緒に練習したかったんですが、結局会えませんでした。インフルエンザをうつしちゃいけないと思って」

 ――どれだけ強くなっているかを感じたかったでしょうけど、残念でしたね。

 「そうですね。ただ、送ってもらった練習のデータを見たら、夏の帰省のときよりいい感じでした。レースでどうかは別として、タイムなどは上がってきているようですね」

2023年11月、小倉でのGⅠ競輪祭の準決勝で3着に入り、決勝への意気込みを体で表す北津留翼

 ――千羽さんはマウンテンバイクからの転向ですね。

 「小学校に入る前後からマウンテンバイクを教えていました。でもガールズケイリンを受験すると聞いたときは意外でした。就職すると思っていたので」

 ――養成所の試験は一発合格でした。

 「昨年の夏に受験したいと言ってきたので試験まで数カ月しかなくて、慌てて自転車を買いました。小倉や久留米で200メートルや500メートルの走り方を教えたんですけど、素質がそんなにあるかどうかという感じだったし、合格してびっくりでしたよ」

2022年6月、久留米記念決勝で連係した4人。左から先頭の阿部将大ー伊藤颯馬ー北津留翼ー伊藤旭。北津留は若手からも慕われている

 ――さて、1月31日からFⅠスーパーナイター濱田賞に出走です。

 「地元を走るのはこれが今年最初なので頑張りたいですね。走ってみないと分からない部分はありますけど、体調も戻ったことだし、気合を入れて走ります」

 ――最終日の2月2日の夕方には、昨年達成した通算500勝の表彰式(※詳細は末尾)も行われます。

 「必ず決勝に上がって表彰式を迎えたいですね。そして最終レースの決勝で、来ていただいたファンの皆さんにいい走りをお見せしたいと思っています」

 ――今年の目標などをお願いします。

 「昨年500勝を達成できたので、次は600勝へ向けて1着を増やしていきたいです。それに11月のGⅠ競輪祭(小倉で開催)の出走権がまだ取れていないので、まずは必ずそこで走れるように頑張ります」

 ※500勝表彰式 2月2日、小倉競輪場バンク内で、5R発売中(午後5時17分ごろから)に実施。4階メインスタンド後方の特設ブースでは先着200人に500勝記念オリジナルラベルの日本酒(寒北斗酒造)を配布

2024年9月、宇都宮でのGⅡ共同通信社杯でともに決勝に進んだ山崎賢人(左)と北津留翼

■プロフィル

◆北津留翼(きたつる・つばさ)
 1985年4月26日生まれの39歳。北九州市若松区出身。

 父の影響で8歳からマウンテンバイクに乗り始め、中学では陸上競技も経験。豊国学園高(同市門司区)では自転車競技で活躍。インターハイのスプリント2連覇など数々の大会を制し、3年時(2003年8月)にはジュニア世界選手権でもスプリント、ケイリンの2冠に輝いた。

 スイスの世界自転車競技センターへの半年間留学を経て、日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)の90期に特別選抜試験で合格。05年に佐世保でデビュー(1、7、1着)。競技のナショナルチームにも在籍し、同年のアジア自転車選手権ではスプリントV。11年までに同大会の同種目で4度優勝。06年にはアジア大会でも同種目で金。08年北京五輪にも同種目で出場した。

 競輪ではGⅠ決勝に5回(宮杯=07年、競輪祭=09、17、21、23年)進出しているがビッグVはなく、GⅢは6度優勝(07年小松島記念、同年松山記念、16年防府記念、17年立川記念、同年宇都宮記念、22年久留米記念)。通算成績は1683走506勝、優勝49回。24年6月玉野で通算500勝を達成した。

 日本競輪選手養成所128回生の北津留千羽(ちはね)候補生(18)は長女で、今春卒業しデビューする予定。177センチ、80キロ、太もも63センチ、O型。

濱田賞とは

 1948年、全国初となる競輪を小倉で開催するために尽力した当時の小倉市長・濱田良祐氏の功績をたたえて開催。第24回を迎える今回は、昨年著しく成長した藤井侑吾(愛知)、地元の大宮記念での失格敗退を雪辱したい森田優弥(埼玉)、GⅠを9Vの山崎芳仁(福島)ら、〝スーパーナイター〟の触れ込み通りに全国からパワー自慢が集結。地元小倉からは北津留翼、園田匠のコンビが受けて立つ

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