【小倉競輪(ナイター)GⅠ競輪祭】「優勝して師匠に一歩近づく」 園田匠 特別インタビュー 21日開幕
今年のGI最終戦「第65回競輪祭」(優勝賞金4590万円)が21日から6日間、小倉競輪場(北九州市小倉北区)で開催される。この戦いが終わった時点で、今年のGI覇者と獲得賞金上位者の計9人に、KEIRINグランプリ2023(12月30日、立川、同1億3700万円)への出走権が与えられる。地元中の地元のタイトルホルダー・園田匠(42)=福岡・87期・S1=に意気込みを聞いた。
■園田匠インタビュー
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◆園田匠(そのだ・たくみ)
1981年9月22日生まれの42歳。福岡県行橋市出身、豊国学園高卒。2002年8月、87期でデビュー。通算成績は1836走で343勝、優勝37回。グレードレース優勝はGIが1回(15年7月弥彦・寛仁親王牌)、GIIIは3回(10年6月四日市記念、同11月松阪記念、16年5月宇都宮記念)。師匠は吉岡稔真(65期=引退)、弟子は松尾信太郎(92期)。ホームバンクは小倉。通算取得賞金は6億7640万8211円(10日現在)。身長168センチ、体重73キロ、B型。家族は妻と、娘が3人(大学2年、高2、中2)。
―同じ吉岡稔真さん門下の小川勇介選手(90期)、岩谷拓磨選手(115期)とともに競輪祭出場です。
「師匠の一門から地元GIに3人も出られるなんて、そんなにないこと。一緒にしっかり頑張りたいですね」
―調子は大丈夫?
「3月にあっせん停止になって時間ができて、いろいろなトレーニングを試したのが裏目に出て、競走得点(成績による平均点)も一時期は107点あたりまで落としました。戻すのに時間がかかって心が折れかけましたけど、やっと110点超えまで戻せています」
―競輪選手へのきっかけは吉岡さんへの憧れですか。
「はい。祖父が競輪が好きで、小学生のころからよく小倉や門司競輪場(2002年3月に廃止)に連れて行ってもらった。そこでは師匠だけが、まるで別次元の走りでした。自分もそうなりたいと思ったし、頑張れば大金を稼げるという気持ちにもなりました」
―それで高校から自転車競技に取り組んだ。
「豊国学園しか自転車部がなかったので入学。それなりに競技で成績を残して、つてをたどって師匠に弟子入りをお願いしに行きました。でも、すぐに快諾とはいきませんでしたね」
―拒否されましたか。
「断られたのではなく、一緒に練習して、やる気のほどをしばらく見られました。ある日(吉岡さんの座右の銘の)〝不動心〟だったか(練習グループ名の)〝不動會〟だったか、そう書かれたTシャツを渡されて、それが弟子入りできた合図かなと感じました」
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【写真右】今年8月、オールスター前検日。伊藤旭と荒井崇博が別々に走ると聞き、「3番手でいいのに」と苦笑いの園田匠
―そして選手になって20年目の2年前、初めて競輪祭の決勝に進みました。
「子どものころから憧れていた舞台でしたから、鳥肌が立った。感無量でしたね。ただ、勝てる流れだっただけに(3着にとどまって)悔しさが残ります」
―同じ小倉がホームバンクの北津留翼選手(90期)もこの競輪祭に出場。2年前のその決勝で連係しました。
「まだA級のころ、熊本だったかな。翼がまだ新人のころに初めてマークして、ちぎられました。自分もそこそこやれると思っていたけど、あっという間に離れた。それでしっかり練習するようになったんです。翼がいなければ強くなれませんでした」
―以前は小倉バンクが苦手だと話していました。
「勝ってやろうと気負いが強かった。それで落車ばかり。自分は追い込み選手だし、どうしようもないときもあると今では開き直れています。気持ちは、地元だからと周りが勝手に高めてくれますし」
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―競輪祭も気負い過ぎずにいきたい。
「そうですね。6日制になって1次予選で2走できるのはプラスです。1走だけで敗退とはならないので。練習も含めていつも通りに臨みます。ただ、流れが来たときに、ものにできるように」
―吉岡さんは競輪祭を3連覇しました。
「師匠はいつだって自分の目標。高い目標ですけど、まずは1回優勝して近づきたいですね。その流れが来れば今度こそ、です」