【いわき平競輪・GⅠ日本選手権】平原康多が復活! 涙のダービー初制覇

いわき平競輪で熱戦を展開したGⅠ「令和6年能登半島地震復興支援 大阪・関西万博協賛 第78回日本選手権」は5日、最終11Rで決勝を行い、平原康多(41)=埼玉・87期・S1=が吉田拓矢マークから直線で抜け出し、大会初制覇を飾った。平原は優勝賞金8900万円と、12月30日の静岡GP出走権を手にした。2着は単騎戦ながら4番手外から捲り追い込んだ岩本俊介。終3角で7番手の内に包まれた古性優作は、車団を縫って3着に入った。6日間の総売上額は152億5791万4200円で、目標の143億円を上回った。

■ヒーロー
復活を信じて待っていた大勢のファンを目の前にして、表彰式の平原は「涙をこらえるので精いっぱいです」とあいさつした。その次にはチャンピオンジャージーの袖で目元を拭った。
昨年は、選手生活の中でも最も苦しい年だった。4月の武雄記念で右肩甲骨を骨折。ダービーを走れなかった。腰のヘルニア、グロインペイン症候群(股関節痛)などにも悩まされ、8月の地元西武園オールスターは左脚のしびれも出て調子はどん底。「強い選手、脇本君らが出てきてスピード競輪になって、何年も追いかけてきた。それで体を壊し、落車でも体を壊した」。ついには9年キープしてきたS級S班を陥落。それでも「絶対に復活する」と、黒いパンツに戻っても、気持ちだけは強く持ち続けた。
この日は吉田拓矢をマーク。前受けでの戦いに、「拓矢が一番強いと信じていたので、どんな位置に引いても力でねじ伏せてくれると思っていた」。鐘の音が激しく鳴る終HS、吉田が踏み上げて吉田―平原―武藤龍生が終2角過ぎに出切った。平原は「これを捲ってこれる人はいない」とラインでの直線勝負を確信。最後は抜け出して、GⅠ9度目のVゴールを駆け抜けた。「日本選手権を取るのは一番の夢だった。信じられない気持ちだった」と、夢見心地でウイニングランの周回をした。
前検日から、表情は明るかった。10年ほど前のフレームを前回の西武園記念で試し、今回もその頃の別のフレームで挑んだ。原点に回帰して、「元々の自分を取り戻せた」。グランドスラムへ、残るGⅠはオールスターのみ。「考えられません」とは言うものの、「昨年、左股関節から壊れてしまった。その脚力が戻ればもう少し戦えると思う」。8月の平塚での達成だけでなく、年末の静岡GPさえ狙える出来に戻してきたことは間違いない。(野口雅洋)
◆平原康多(ひらはら・こうた)1982年6月11日生まれ。埼玉県狭山市出身。埼玉県立川越工卒。87期で2002年8月デビュー。通算成績は1553走で505勝、優勝61回。通算取得金額は16億7423万900円。GⅠ優勝9回(09、10年高松宮記念杯。09、14、16年競輪祭。13、17年全日本選抜。21年寛仁親王牌、24年日本選手権)。GⅡ優勝2回(06年ふるさとダービー富山、18年共同通信社杯)。父は康廣(28期、引退)、弟は弟子の啓多(97期)。通算取得賞金は16億8753万4100円。184センチ、95キロ、A型。
<決勝VTR> 武藤がSで出て、吉田―平原―武藤(吉田ライン)、古性、清水、山口、小林―諸橋(上越ライン)、岩本で周回。赤板で上越ラインが切りに行ったところで、古性、清水、山口も上昇してこの単騎3人が中団。鐘3角で上越、古性、清水、山口、吉田ライン、岩本の並び。終HSで吉田がカマして、終BSで吉田ラインが出切る。岩本が続いて、叩かれた上越は内4番手で粘る。武藤は内の諸橋とのせめぎ合いになり、外を踏んだ岩本が伸びる。直線半ばで吉田を抜き先頭に立った平原がV。岩本は2着まで。終3半まで車群に包まれていた古性が岩本の内を突いて3着。
